歩く希望を失わせてはいけない

歩く希望を失わせてはいけない

あなたは、患者さんの下肢切断による喪失をどのように受け止め見守っていますか?

Aさんは58歳の女性で、28歳のときに糖尿病と指摘され、10年前から透析を受けています。靴ずれを起因とする感染症足部壊死、重度下肢虚血にて右下腿を切断しました。その後、義足で歩くようになりましたが、荷重負荷が誘因となり、反対側も足趾壊疽を患います。

下肢切断を目前にしたAさんは、「五体満足に生まれ、自分は歩けたときがある。健康に気遣いもせず、今、足を失うことが贅沢なことかもしれない。ただ、産んでくれた母は私をどう思うだろうか」と語りました。糖尿病患者さんは、病気とセルフケアの負担や、セルフケアがうまくできないことによる罪悪感と自尊心の低下で生じる否認を抱えています。Aさんは治療が適切にできず、透析や下肢切断という自己の存在価値をも揺るがす喪失と向き合い、今となっては「足を失いたくない」という思いをわがままと感じています。

下肢切断という身体欠損を伴う喪失を受容する過程では、生命予後を含めたさらなる合併症に難渋しなければなりません。その道程に心は置去りにされるため、安定した境地に達することが難しいのです。Aさんは、潜在意識の中で瞑想し、かけがえのない足との永遠の別れを、母親に抱きとめられ慰められた幼いころの記憶で癒そうとしていました。受容は、格別に快適というわけではなく、実際は苦痛を伴うものです。

残る片足も壊死を患ったAさんは、「私も電動車椅子に乗って、先に歩けるようになる?」と、耐え難い足の痛みに苦悩し、さらなる下肢切断への不安を語りました。義足では上手に歩くことが難しいため、いつも誰かに追い越され、置去りにされる思いで歩いていたのでしょうか。電動車椅子は患者さん自身の意志で動く足です。Aさんは新たな道程を歩く手段として、電動車椅子に乗った自分の姿をイメージしています。患者さんの歩みには、生きることそのものの意味があり、「生きる証」や「生への希望」を描いています。

フットケアに携わる医療者は、患者さんの歩みを目標に語る必要があります。患者さんの生きる意味に添えるよう「心のこもった関心」を足元に寄せ、抱える苦悩に患者さんがみずから立ち上がり人生を歩けるように見守りながら、支援していかなければなりません。
人生の歩みを支えることが、フットケアの魅力です。

※このコラムは、病院勤務時代に「糖尿病ケア」に掲載されたものです。

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